節分に恵方巻きを取り入れるとママがラクになる|由来や無言で丸かじりする理由を調べてみた

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恵方巻きは今までスルーし続けてきたんですけど、娘ちゃんが手巻き寿司好きになったせいもあって、今年の節分は手作り恵方巻きに挑戦しようかと計画中です。

しかし、私自身が恵方巻きを食べたことすらないので、このままだとただの海苔巻きパーティーで終わってしまいそう。

豆は投げるより食べる方が好きという我が家のかわいい鬼が、なんで恵方巻を食べるの?なんで恵方巻って言うの?と質問責めにしてくるのは目に見えているので、その前にしっかり恵方巻の予習をしておこうかと思います。

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恵方巻ってなんで食べるの?そもそもの由来は?

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節分の日に恵方を向いて太巻きを丸かじりすると、一年間無病息災で過ごせるという言い伝えがある。太巻きの具は七福神にちなんで、かんぴょう、でんぶ、きゅうりなどの7種類。無言で食べ終わることがポイント。

由来は諸説あるようで、ウィキペデアなどで調べたのをまとめると、だいたい以下のような説があります。

・大阪の商人たちの商売繁盛と厄払いの意味で、「幸運巻寿司」の習慣が始まったとする説

・豊臣秀吉の家臣・堀尾吉晴が海苔巻きを食べて出陣し、大勝利したという説。

・巻寿司を食べる時に、切る手間を省くために一本丸かぶりしたという説。

・大阪の花街で舞妓や芸妓に食べさせ、その姿を見て楽しんでいたという説

・大阪の花街で働く女性が願掛けに行ったという説

大阪・心斎橋にあったすし店「本福寿司」(2015年2月に閉店)には昭和7年に大阪鮓商組合が作った「巻寿司と福の神 節分の日に丸かぶり」と題したチラシが所蔵されていて、大阪鮓商組合のホームページで確認することができます。そのチラシを見ると、女性が巻き寿司を丸かじりする姿が描かれていて、冒頭には古くから花街で行われていたとあります。

ちなみに、大阪鮓商組合のホームページにも由来の説が掲載されていたので抜粋しておきます。

この風習の起こりについては諸説ありますが、風俗史研究家・岩崎竹彦氏(岡山県新見市、新見国立短期大学助教授)によりますと—

・幕末から明治時代初期に大阪・船場の商人が商売繁盛、無病息災、家内安全を願ったのが始まり。

・船場の花街で働く女性が階段の中段に立って、巻ずしを丸かぶりすると願い事が叶ったという故事に因む。

・船場の旦那衆が節分の日に行った艶っぽい遊びが発端。

・節分の頃は新しい香の物が漬かる時期で、江戸時代中期、香の物入りの巻ずしを丸のまま恵方に向かって食べ、縁起をかついだ。

恵方巻き発祥の地として名乗りをあげる大阪市此花区

大阪市此花区は区内にある伝法(当時の申村=さるむら)という地域が発祥の地として名乗りを上げています。此花区のホームページを見てみると、区をあげてPRされていて、参考文献の抜粋も掲載されていました。

「(省略)昼食夜食は巻寿司を食べることが習わしとなっていました。(省略)鮨を巻くだけでも目の回るような忙しさです。切る暇などはありません。(省略)『姉さん、切らんとそのままおくれんか。腹が減ってグーグー言うとるわ。上品な食べ方せんでも、みんな顔見知りのもんばっかりや。』(省略)そこで、鮨の丸噛りとなるのでありますが、宿の女房が『あんたら、ちょっと待った』と一声、『鮨を噛るとき、家の神棚に、今年も元気でいられるようにと、拝んでから噛るのんやでぇ。』(以下、省略)」

此花区郷土史研究資料『伝法のかたりべ(五)-旧・申村を含む-』(勝安男著)6頁より

関東にも恵方巻きのルーツがある

恵方巻きといえば関西地方が発祥と思いますが、栃木県にある磐裂根裂神社(いわさくねさくじんじゃ)では「福巻寿司」という太巻きがあって、節分祭りの祈祷に訪れた参列者に振る舞うそうです。宮司が神事を執り行ったあと、全員でその年の恵方を向いてほおばります。

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この風習は江戸時代末期に始ったとされ、神社には福巻寿司発祥という石碑があります。名前は違えど、節分の日に恵方に向かって巻物を食べる習慣は、関東でも昔からあったみたいですね。

業界では知られたくない歴史も

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朝の情報番組「スッキリ」で紹介されていたらしいのですが、花柳界では商売繁盛を祈るため、節分に旦那さんに見立てた巻物を食べて縁起を担ぐ風習があったそうです。旦那さんのナニに見立てたのか詳しくは言えませんが、大人なら想像できますよね。

もちろんこれは数ある説の中の一つ、真に受けてもう食べたくないという意見もありますが、そこまで神経質にならないでもいいのかなと思います。

恵方巻きを現代に流行させたのはセブンイレブン

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先ほども紹介しましたが、恵方巻きは昭和7年頃から大阪鮓商組合で売り出されていたのですが、あまり流行らず一時期廃れてしまったようです。1970年頃にも、大阪海苔問屋協同組合が道頓堀で「巻き寿司のまるかぶり」イベントを行ったところマスコミに取り上げられ全国に知れ渡たりましたが、この時も定番までには至りませんでした。

しかし1989年、広島県にあるセブンイレブンの一部店舗で販売したところ、人気に火がつき全国のセブンイレブンで「恵方巻き」として販売されるようになったのです。

ちなみに、セブンイレブンが販売する前は「幸運巻き寿司」、「丸かぶり寿司」などと呼ばれていたそうです。コンビニではファミリマートが1983年に大阪と兵庫で最初に販売を開始したとされています。

恵方巻きは切らずに無言で食べるのはなぜ?

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のり巻きをみんなで同じ方向に食べるというだけで、ちょっと異様な光景に思えてしまうのですが、さらに無言で食べるというから知らない外国人が見たら、日本人はなんて滑稽なんだろうと思われてしまうかもしれない。

節分に巻物を食べるのは福を招きいれるということから、縁起のいい食べ物とされています。また切らずに食べる理由は、縁が切れてしまうということから一本丸ごと食べるということになったようです。

京都の祇園にはある「無言参り」を知ってますか?

舞妓さんや芸妓さんが願いごとを成就させるために始まったとされる風習で、7月に行われる祇園祭の神輿が御旅所に鎮座されている17日~24日の間に、八坂神社と御旅所の間を七度往復して、お参りをするというもの。このお参りはしゃべることはもちろん笑顔すら見せてはいけないというから、けっこう大変なお参りです。

一日に七度という説と七日間で七度という説がありますが、現在は後者の方が多いみたいです。このようなことからも、無言は神事につきもので、真剣に神様にお祈りしましょうということなのでしょう。

恵方巻きがなぜ全国的に受け入れたのか

今や節分の豆まきと同じくらい認知度が高くなった恵方巻きですが、なぜここまで全国的に受け入られるようになったのでしょうかね。これはママたちが楽をできるということが一番大きな理由だと思います。あくまでも私の個人的な推測ですが。

毎日夕食のメニューを考えるのはママたちにとって大きな悩み、それが一日分でも消化できれば気持ちにゆとりがもてます。しかも、恵方巻は1本食べればお腹いっぱいになるので、用意するのも簡単ですし節分に食べるものだから、手を抜いたとも思われにくいですしね。

今まで恵方巻きと聞いても、企業側の仕掛けたイベントに便乗するなんてバカバカしいと思ってましたが、このようにママの負担は減るし子供も楽しそうなので、我が家も今年から取り入れてみようかと思いました。

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